新・司法試験基本書まとめwiki―司法試験基本書論序説―第一

そもそも基本書とは一体何であるのか

そもそも基本書とは一体何であるのか。私は法学部の出身ではない。教養でも法学を履修することはなかった。法学とは理科系の人間にとってもっとも非科学的な学問だと信じていたからである。一身上の都合から司法試験を目指し、平成27年合格するに至ったが、司法試験の勉強を開始するにあたり、やみくもに法学のテキストを勉強しても仕方ないので、とりあえず基本書についてまとめる次第である。ずばり、基本書とは、法律学の分野で妥当する概念であり、定義や法概念等を一定の立場からまとめた書籍なのである。医学部では、そもそも基本書などという言葉は使わないし、そのような概念すらない。医師国家試験にも合格したが、その際にも、教員、それも単なる教授ではなく名誉教授であっても、基本書を読め等という人はいなかった。むしろ所謂予備校本、すなわち大学受験で言うところの予備校講師が作成したようなおもしろおかしくしたような書籍を読めと言われたのである。似たようなここが、ここに書かれている。

基本書主義に基づく学習方法

第一回目は、出来る限り早く読むこと。数日間のうちに何百にも渡るページを読破するのである。1時間あたり50ページが妥当である。個人差もあるが、とにかく早く読むのである。多少分からなくても気にすることはないのである。それはこの人も言っているのである。これにより、簡単な論点はわかるとなり、免疫がつくのである。ここが最も注力すべきポイントであろう。2周目は、個人差や科目にもよるのであるが、4、5日で読破すべきである。その際には論点を理解し、体系を理解することが必要である。前者について、目次は基本的に論点ごとに項目立ててされており、一つ一つ理解していきやすいのであり、法律の勉強の基本となる。後者について、司法試験の出題は複数の論点に跨った問題となっているからである。体系なくして合格なしである。「体系的理解なくして成仏なし」という学者も存在する。3周目以降は、自主ゼミで議論することであり、飛躍的な成長をもたらす。よい意味でのライバル心を働かせるのが、司法試験合格に必要不可欠な方策である。

予備校本主義と基本書主義

基本書は、予備校本と対置されがちである。では予備校本とは何か。予備校本とは、シケタイ(伊藤塾)C-book(LEC)などのように、司法試験予備校が販売する司法試験対策教材である。基本書と予備校本のどちらがよいのか、その比較を試みよう。第一に一貫性である。そもそも法律には論点というものが存在し、学派によって頻繁に解釈が分かれるのである。複数の論点にまたがる出題がなされたとき、学派を一つにしておかないと回答に矛盾が生ずることが稀にある。一人の教授が全ての論点について書いているのが基本書であり、その点では基本書に軍配が上がろう。第二に情報のバランスの観点からである。そもそも司法試験には、出題の多い領域とそうでない領域があり、その差は歴然とする。当然、試験委員も重要性の高い領域ほど配点を高くする。その点を研究している分、情報のバランスは予備校本が勝っています。第三に試験委員からの評価である。試験委員は、その受験者が何の教材を使って勉強したか見抜けるという。試験委員は概ね予備校本に好意を痛いていない。たしかに、試験委員は、青柳幸一等を除き公平を期するよう努力する。しかし、近年予備校本では対応できないようなポイントを狙い撃ちしたような出題が頻出することもあるのである。そこで、基本書と予備校本の使い分けをどうするのか。一つのやり方は、精読用=基本書、辞書=予備校本と使い分けるのである。予備校本は論点ごとに主要学説を全て載せているから、自分の選んだ基本書の学説がどういった位置にあるのかも把握することが可能となるのである。

  • 最終更新:2015-10-04 01:57:49

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